最近、ケータイの動きがワンテンポほどズレるようになった。
ストレージが幅を利かせているのだろうと思い、写真の整理を行う。
ブレた猫の写真とか、DIY用の木材の寸法とか、金額のメモの写真など、数年分を遡って消していると、亡くなってしまった猫たちの写真も出てくる。
その中には、初めて飼った猫・ちくわの写真の、元気だった頃や、闘病中のものが出てくる。
ちくわの闘病中は、私は個展や合同展に出展中だったり、台風で屋根が飛んで修理してたり、敷地内の空き家を解体したり。そういう、慌ただしい日々を送っていた。その様子を記録している写真の合間に、ちくわが口内炎で抜歯をしたり、口内の癌になってしまって投薬と流動食用のチューブをつけたり、癌の影響で盲目になってしまったり。病状が進行していく様子が差し込まれている。
ちくわの看病をしながら、気持ちを切り替えるためにも動いてないと気が狂いそうだった、というのもあるし、ずっと横で付き添ってやればよかったという思いもある。可能な限り付き添っていたし、ずっと付き添っていても、もっと何かができたはずだ、もっともっと何かが、と後悔しきれなかっただろうとも思う。
抜歯の手術の時に、怖い思いをさせてしまったこととか、それが原因で口内に癌ができてしまったのではないかと、いつまでも自分を責めることができる。ひどく悲しい。
2年経った今でも、現在系で話をしている。しっかりと悲しんだつもりでも、まだまだ足りないのだろうと思う。
ちくわがなくなった後、後を追うように、たま子も糖尿病になり、1年の闘病の末に亡くなった。
写真フォルダには、その様子も残されている。涙を落としていると、1匹だけになってしまった我が家の猫、てまきの視線を感じて、涙を拭く。
ゴロゴロ言っているてまきの身体に耳をつける。心臓の音が聞こえる。猫の心臓のは、自分の心臓よりもペースが早い。
コテツも、モーセも、ちくわも、たま子も、自分を追い抜かして逝ってしまったのを想い、
もっとゆっくりのペースで良いから。と、てまきに伝える。